元禄時代。徳川光圀の和歌に見る
「平安と邂逅」

平安時代に医薬の神様として創建された大洗磯前薬師菩薩明神の社殿は戦国時代の戦禍で焼失してしまいます。廃塵となった神社社殿の再建をはじめたのは、江戸時代初期の三名君のひとりとして知られる水戸藩二代藩主徳川光圀公でした。

徳川光圀公が治世中に詠んだ「磯月」という題名の和歌があります。光國公は隠居後も大洗で四季の行楽に興じては和歌を詠んでいました。この「磯月」は月明かりを浴びた大洗の岩礁風景に光圀公の人生観を重ねたのでしょうか。

磯月

荒磯の 岩にくたけて ちる月を
ひとつになして 帰る浪かな

徳川光圀「常山詠草・秋歌」

天夜空に浮かぶ月の穏やかな光は、荒磯のある現世(うつしよ)において遠く貴い平安を象徴するものです。
遠い夜空の月は海の水面にも光を映すので平安は近くにあるのです。しかし現世である水面に映る月の光は荒磯の岩に砕けて散り散りになってしまいます。(このような彷徨う波を「浪」と表しているのでしょう)

夜空に遠く浮かぶ月は変わらずに平安なのに、身近な月の光は破壊されて離散してしまうのです。でも人生の破壊に嘆く歌ではありません。

散り散りに別れて彷徨う光は、引き波と共にひとつに戻り再会し、水面に平安な光を映すのだな。と、穏やかに締めくくる歌です。

  • 荒磯 = 波のうち寄せが激しい磯(自然災害、突然の別離、戦禍)

  • 夜空の月 = 遠い平安

  • 水面の月光 = 現世(うつしよ)にゆらぐ平安と人々

  • 浪 = 散り散りに彷徨う光(さまよう平安、さまよう人々)

名勝大洗の「神磯の鳥居」の傍らにひっそり立つ磯月の歌碑と、潮の満ち引きに生きる逞しい生態系が広がる大洗の荒磯を鑑賞しながら、人生の平安や世界の平和について考えてみるとよいかもしれません。

大洗磯前神社
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