開運大洗 第一話
開運大洗 第一話
名勝大洗の岩礁群の中に石鳥居が建つ大岩があり、「神磯の鳥居」と呼ばれています。海岸から百段余の階段を登る大洗山に鎮座する大洗磯前神社の御祭神はこの大岩に降臨した大己貴命と少彦名命です。
平安時代に編纂された「日本文徳天皇実録」(850 年-858年)に御祭神が降臨した物語が書かれており、意訳をご紹介します。
斉衡3年(西暦856年)12月29日。常陸国の国司が申し上げる。鹿嶋郡大洗磯前に神が新たに降臨された。塩を煮る民人が夜半に海上を望むと天が輝いていた。
翌日に浜に行くと2つの怪石があった。高さはどれも1尺で、形は神が造り、人間の石にあらず。塩を煮る老人はこれを怪しみ去った。
さらに翌日には、怪石の左右に20余の小石があった。侍坐するがごとくに似て、彩色は常にあらず、あるいは形が沙門(修行僧)の像のようであり、ただし耳や目がない。
時に神が人に憑いて言う。
「我は大奈母知命と少比古奈命なり。昔、この国を造り終えて東の海に往き去ったが、今、民を救済する為に更にまた帰って来た」
天安元年(西暦857年)8月7日に常陸國の大洗磯前と酒列磯前は官社に列せられて、10月15日に2つの神社は薬師菩薩名神の神号を受けました。
この時代の日本は天然痘や飢饉が発生しており、多くの人々が亡くなっています。疫病は神の祟りという思想から国は読経や祈祷、奉幣(国から供物をいただくこと)、造仏を行うことを疫病対策と考えていた時代でした。大洗磯前神社も創建から1年を待たずに官社に列せられ奉幣を受け、当時は「薬師菩薩」の神号を受けて医薬の神となります。
かつて常陸国風土記に不老不死の常世の国のようであると伝えられた常陸国でしたが、二度と災難が起こらないようにとの人々の願いを受けて、二神が降臨したとされています。
これが大洗の保養地の精神的な礎となる大洗磯前神社の創建です。
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